<崔在亨高麗人民族学校>で学生たちが準備した舞踊と太鼓公演を観覧してから、訪問団は宿所<ウスリスクホテル(Гостиница Уссурийск)>に行ってチェックインからしました。
ウスリスクの中央路であるネクラソバ(Некрасова, д. 64)大通り沿いに位置するこのホテルはウスリスクで最も古いホテルであり、130室の客室を持つウスリスク最大のホテルだそうです。
ホテルのチェックインはしましたが、客室まで上がる時間はありませんでした。 夕食を予約した時間がすでに過ぎていたからです。 ホテルのスタッフの協力を得てロビーの片隅に一行のスーツケースを一つ集めておくことにし、一行は再びバスに乗り込み、食堂に向かいました。
夕食の場所は大きな中華料理店だったのですが、その社長がキム·ヴァレリア-キム·バレンチン先生夫婦の友人だとおっしゃっていました。 お二人がタシケントからウスリスクに移住されて35年にもなりますので、主要食堂との関係が緊密だと思いますが、特に高麗人同胞ならもっと親しくなれると思います。 この食堂に着いてから知りましたが、一行がクラスキーノの安重根義士斷指同盟記念碑で食べた昼食もこの食堂で注文されたものだそうです。
私たちは20人余りがゆったり座れる大型円形テーブルを囲んで座り、ターンテーブルの上に食べ物が上がり始めました。 中華料理店だと言っていましたが、料理のほとんどは韓国式でした。 キムチはもちろん、いろんなナムルが出てきました。
この日の夕食では、初めて本格ウォッカを味わうことができました。 食堂の社長の推薦によって<ベルーガ(белу́га)>ブランドのウォッカが数本テーブルに上がったのですが、食事とともにみんなベルーガを数本の先輩として飲みました。 李黃徽先生の"理想は高く、愛は深く"の乾杯の音頭は本当に魅力的でしたね。
もちろん、この席は食事の席だけではなく、<舞踊靴>と<崔在亨高麗人民族学校>が席を共にした初めての公式晩餐でした。 そこで訪問準備団(黃光石、朴美賢、李高恩)はキム·ヴァレリア先生夫婦に招請に対する感謝の贈り物を準備し、夕食の席で伝達しました。
準備団は特別公演を準備してくれた学生や教員にもプレゼントを用意しました。 学生たちがどんなプレゼントが欲しいか聞いたら、韓国のフードTシャツが欲しかったそうです。 それでフードTシャツを準備して渡しました。 準備団がどれほど細心の注意を払っていたかがわかります。
食事をほとんど終えてみんなベルーガで旅の疲れが和らいだ時、林尙澤先生の誕生日を祝いました。 生徒たちがプレゼントしたケーキを食堂に持ってきたので、皆で誕生日の歌を歌って、林尙澤先生がケーキを切って皆に一切れずつ配りました。 私はお腹がいっぱいでしたが、ロシアのバースデーケーキはどういう風なのか気になって少しだけ味わってみようと思ったのですが、意外と味が良くて二切れも食べました。
食事が終わってテーブルがおおよそ片付くと、余興が始まりました。 朴仁浩先生がサックスの演奏で雰囲気を盛り上げ、宴会場に設けられたカラオケの機械まで動員して歌ったり、歌に合わせて踊ったりしました。
キム·ヴァレリア先生は、ロシアの夕食、特に外食はだいたい音楽とダンスが添えられるものだと言っていました。 この日の晩餐会の料理は韓国式で、演奏と歌も韓国の歌がほとんどでしたが、お酒と踊りだけはロシア式に注ぐようになりました。 食べ物とお酒、音楽と歌、そして物語が相次いだ楽しい時間でした。
食事が終わって一行は宿舎に戻りましたが、それで一日が終わることはありませんでした。 中国を経てロシアに渡ってきた初日で、目的地ウスリスクに無事到着したうえに、学生たちの暖かい歓迎を受けたため、お祝いムードが長くなり、遅い時間まで飲酒と歌舞が続きました。
残念ながらお酒がとても弱い私は食事と一緒に飲んだウォッカ何杯かでそのまま倒れて寝たので、その夜の幻想的な祭りに参加することはできませんでした。 (jc, 2024/5/15)
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