中央日刊紙朝鮮新聞くから石井漠新舞踊関心していた192547日付朝鮮新聞石井漠小浪がアメリカとヨーロッパの公演えて日本帰国したことをじた帰国日43だったので京城新聞にしては迅速報道だった。 

 

その記事添付された写真石井漠小浪2年余りの巡回公演えて横浜途中帰国船春洋丸甲板でポーズをったものだがマスコミ配布用準備されたものとられるしかし朝鮮新聞はこの記事はもちろん写真掲載しなかったする重要事案ではないと判断したのだろう

 

しかし、『朝鮮新聞はこの写真入手説明文とともに掲載した石井漠舞踊界名士であっても京城訪問したわけでもないにもかかわらず帰国写真報道したのは、『朝鮮新聞石井漠舞踊活動注目していたという意味である

 

1925年4月7日の「朝鮮新聞」は、石井漠と石井小波兄妹がヨーロッパとアメリカのツアーから日本に戻ったことを報じた。

 

石井舞踊団朝鮮巡回公演最初報道したのは朝鮮新聞である1926219日付記事であり京城公演がある1月前のことだ。 『東亜日報はそれから二日後(221)、『京城日報半月後(33310)、『毎日新報月後(316)じニュースをえた

 

記事昨年丘珠からってきた石井石井漠小浪兄妹朝鮮京城自慢のバレエダンス舞踊公演をすることにしたとし石井漠から郵便られてきたあいさつまで転載した石井漠挨拶後援社京城日報にもせなかったダネであった

 

また318日付朝鮮新聞石井舞踊団京城公演レパートリーを入手各作品題名とジャンル公演者名前まで報道したこれもやはり報道だった。 『京城日報320番組掲載したが、『朝鮮新聞11作品、『京城日報9作品だけ紹介している

 

1926年2月19日の『朝鮮新聞』は石井舞踊団の朝鮮巡回公演を真っ先に報じた。

 

京城日報のリストかられた作品石井漠松浦旅人のデュエット舞踊劇明闇石井小浪がアンコールとして準備した日本舞踊だったがこれら2作品いた理由らかにされていなかった

 

321日付朝鮮新聞世界的舞踊家石井漠コナミ兄妹一行20日午前7京城駅到着した列車入京原金旅館まり正午本社れたとし石井舞踊団動線までえた石井舞踊団京城到着した時間宿所らかにして報道したのは朝鮮新聞唯一である

 

また朝鮮新聞記事来月東京公演する3研究作品発表には多数朝鮮中国舞踊れてみるつもりという石井漠計画じた

 

新舞踊石井漠について関心せていた朝鮮新聞であったが石井舞踊団大邱公演報道されなかった1888仁川において創刊され1919本社京城中央紙となった朝鮮新聞大邱地域のニュースまでにする余力がなかったのだろうか

 

1926年3月18日の『朝鮮新聞』は、石井舞踊団京城公演のレパートリー11作品を公開した。

 

朝鮮新聞にも大邱支局があった1915214日付釜山日報<朝鮮新聞>大邱支局記念号発行という記事っていることから、『朝鮮新聞くとも1914から大邱支局運営していたにもかかわらず、『朝鮮新聞には大邱公演記事はなかったなぜだろうか

 

おそらく朝鮮新聞石井漠大邱公演のスポンサーではなかったからであろう京城公演京城日報大邱釜山公演釜山日報後援京城公演朝鮮新聞報道したが、『釜山日報後援する地方公演まで広報したくなかったとわれる

 

また大邱京城日報朝鮮新聞縄張ではなく、『釜山日報領域認識された京城公演後援した京城日報大邱支局送稿単身ではあるが大邱公演記事にしたが、『朝鮮新聞はそこまでする必要性じなかったようだ当時のマスコミ報道慣行すでに後援じた事業性地理的領域概念重要だったとわれる(*)

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