日本最古のコーヒー店が東京の可否茶館であったというのが定説ですが、神戸の放香堂が最初のキッサテンだったという主張もあります。
日本にコーヒーが最初に紹介されたのは、1700 年頃の長崎の出島でした。 ここに出入り許可を得て貿易に従事していたオランダの商人たちがコーヒーを飲んだという記録が残っています。
また、大田南畝(1749-1823)の随筆集『瓊浦又綴(1804)』に「(コーヒーが)焦げ臭くして味ふるに堪えず」と言及されていました。 しかし、これは日本人ではなくオランダ人の風習を紹介したものですので、日本のコーヒー店の歴史というよりは前史と見るべきでしょう。
日本開港(1853)以後、横浜居留地にもコーヒーハウスが営業中でした。 1864年に開業した<ビクトリア·コーヒーハウス(Victoria Coffee House)>と<カフェ·デュ·ジャポン(Cafe du Japon)>と<アリエカフェ(Allier Cafe)>、1870年に開店した<カフェ·デュ·コメックス(Cafe du Commerce)>がそれです。 しかし、外国の名前から見て、これらのカフェも外国人(アメリカ人、イギリス人、フランス人)の出入り先であり、日本人コーヒー店とは考えにくいです。
しかし、1874年に神戸元町に開店した「放香堂」、1876年に東京浅草観音堂境内に開業した「御安見所コーヒー茶店」、1886年に東京·日本橋にオープンした「洗愁亭」は、その場所と名前から見て日本人のコーヒー店でした。
この中で一番早い時期に開店した「放香堂」は記録に残った最初の日本コーヒー店として認められています。 「放香堂」の存在を証明する文献は全部で3つあります。
一つ目は「放香堂」の歴史です。 「芳香堂」は天正年間(1573~1591年)、京都相楽郡和束町に宇治茶農場を始め、天保年間(1830年~1843年)、東源兵衛が宇治茶を江戸に販売し始めたといいます。 1858年、松平家の茶菓子商人に指定され、「放香堂」という商号を授与されました。
1868年、神戸港の開港に伴い、「放香堂」は神戸市の栄町通に宇治茶輸出商館(=貿易会社)を開業し、インドと東南アジアに設置された日本人の町と茶貿易を始め、1874年には神戸市元町に京都から生産した宇治茶とインドから輸入したコーヒーを販売する小売店「放香堂」を開店しました。 当時、「放香堂」は宇治茶やコーヒーの販売だけでなく、九谷焼という陶器の器(おそらく茶器)も売っており、郵便物も扱っている店舗だったそうです。
2つ目は、1878年 12月26日の読売新聞に掲載された「放香堂」の営業広告です。 この広告文では、「焦製飲料コフィ―:弊店にて御飲用或は粉にて御求共に御自由」というフレーズがあります。「焦製飲料」とは、「炒めて作った飲み物」ということですので、つまりコーヒーのことです。 「放香堂」は粉コーヒーを販売しただけでなく、店内でコーヒーを注文して飲むこともできたコーヒー店だったのです。
3つ目は、当時の神戸の主要商店を版画として描いた『豪商神兵湊の魁(1882)』という本です。 今でも神戸市立博物館に所蔵されているこの店舗の風景画版画集には、「放香堂」も描かれていますが、「宇治製銘茶」という看板と「印度産加琲」という看板が並んで掲げられており、「兵庫県下神戸元町通3丁目」という住所も書かれています。
神戸の「放香堂」は1880年からは貿易業務を中断、宇治茶やコーヒー、紅茶の販売に専念していたということで、少なくとも6年以上開業しているので、東京の「可否茶館(1888-1892)」より開業期間が長いです。 「放香堂」の廃業時期は知られていませんが、2015年に神戸元町に同名のコーヒー専門店が再び開業し、歷史を引き継いでいます。
一方、今日まで開業している最古のコーヒー専門店は1919年8月に開業し、105年間営業している東京人形町の喫茶去快生軒であることが知られています。 (*)
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