安重根義士斷指同盟記念碑公園に整然と配置された重い15個の石が、もしかしたら斷指同盟員を指すかもしれないという気もしました。 金九先生のエピソードを思い出したからです。
金九先生の<白凡日誌>に"ムンウリドル(=無隅石)"の話が出てきます。 日本が700人余りの愛国者を検挙し、さまざまな拷問で105人の事件を操作したことを指して、金九先生は「倭寇は新しく買った畑(=朝鮮)でムンウリ石(=独立運動家)をすべて選び出そうとしている」と述べています。そして、自分は続けて「無隅石として生きていけと思い、固く決心した」と付け加えました。
ムンウリ石とは、角のない丸い大きな石を指す言葉ですが、日本植民地時代には独立運動家を指す言葉でもありました。 安重根義士斷指同盟記念碑公園で見た15の石は、金九先生の言葉通り、朝鮮の独立運動家を指しているのかもしれません。
斷指同盟員は12人と言われてきました。 安重根義士は伊藤博文砲殺事件の6回公判で、自身を含めて「白南奎、金基龍、姜基淳、曹順應、黄吉炳、姜斗瓚、金天化ら8人が核心組織員」とし、「客員としては鄭元植、朴鳳錫、柳致弘、金白春ら4人」を挙がった。 他の資料には「嚴仁燮、ペク·ウォンボ、ハン·ジョンホ」も同盟員だったという記録があります。 全部で15人です。
これらの名前は実名ではなく、ほとんど仮名か虚名です。 安重根義士が拷問とともに行われた審問過程で、同盟員の名前をまともに陳述しなかったためです。
核心組織員8人のうち、本人を除いた7人の名前は姓や名を変えたり、漢字を変えたりした仮名です。 白南奎は白圭三、金基龍は金起龍、姜起順は姜舜璣、曹順應は趙應順、黃吉秉は黃炳吉、姜斗瓚は姜昌斗、金天化はカ葛化天の名前を変形させたものです。
客員として言及した4人のうち、柳致弘は実名と推定されますが、鄭元植、朴鳳錫、金白春は鄭元柱、朴錫鳳、金乙嶺の虚名と推定されます。 これらが誰であるかは把握されていません。
また別の資料には「嚴仁燮、ペク·ウォンボ、ハン·ジョンホ」なども斷指同盟員として記録されました。 ペク·ウォンボとハン·ジョンホは誰なのか知らされていませんが、嚴仁燮に対する陳述は食い違っています。
安重根は予備審問で、嚴仁燮と金起龍は斷指同盟員ではないと否定しましたが、実際に金起龍は斷指同盟員であり、嚴仁燮もそうだった可能性が高いです。 ただ、厳仁燮は庚戌国恥直後に変節し、日本の密偵に変身、独立運動に大きな害悪を及ぼしました。 イエスの12弟子たちの中でも裏切り者のガリョット·ユダが出てきたのと同じです。
しかし、他の同盟員は独立運動を続けました。 白圭三先生は抗日武装闘争中に戦死し、黃炳吉先生は沿海州と中国で独立運動を続け、琿春で病死しました。 趙應順先生は臨時政府に軍資金を渡していたところを逮捕され、獄中生活を送りました。
ただ、同盟記念碑の公園には安重根義士の名前が強調されていますが、他の同盟員も同じように記憶されるべきでしょう。 しかし、彼らの身元はおろか、彼らの名前さえ明らかにされていないのは残念なことです。彼らの身元がすべて明らかになるまでは、同盟員として取り上げられてきた15人をすべて記憶し、尊重する必要があると思います。
そういう点で、この記念碑公園に設けられた15個のムンウリ石は、この15人の同盟員を指すものとみてもいいでしょう。 裏切り者のオ嚴仁燮まで含めてですね。
最後に斷指同盟の正式名称は「同義斷指会」であったことも覚えておく必要があります。 崔在亨(チェ·ジェヒョン)先生の主導で結成された同義会の決死隊だったのです。
崔在亨先生は安重根義士の伊藤博文狙撃を支援しただけでなく、安重根義士が殉国した後はその家族を沿海州に連れて行き、世話をしたとされています。 (jc, 2024/5/15)
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