西宮を紹介しながら甲子園をまず見てきたのは、日本ではもちろん韓国にも広く知られている野球場がここにあるからです。 阪神甲子園野球場ですよね。 最近は略して甲子園と言っても全部聞き分け、さらに日本の高校野球大会のことをそのまま甲子園とも言います。
甲子園という名前は、この野球場が竣工した1924年が十干十二支で甲子年だったからです。 ところで、なぜ甲子の後ろに‘園’の字がついたのか疑問に思いました。 甲子村や甲子町ではなく、甲子園になった理由が気になりました。 それで探してみました。
1920年代から西宮に新しく造成された高級住宅団地のためです。 よく西宮七園と呼ばれますが、甲子園の他に、香櫨園、苦楽園、甲陽園、甲東園、甲風園、昭和園があります。 これらの7つの高級住宅地を今でも西宮七園、つまり西宮の7つの庭園地域と呼んでいます。
地名に庭園という意味の「園」の字を付けたのは、よく整備された庭園のように美しく快適な住宅団地という意味で付けた言葉です。 韓国にアパートを建てながら「マンション」とか「キャッスル」とか「ザイ」みたいな言葉をつける現象が100年以上前の日本では「園」だったんですよね。
また、園には小山という意味もありますが、これらの住宅団地が甲山という山の下に造成されたからです。 甲陽園、甲東園、甲風園という名前に甲の字が入ったのも、甲山の麓にあるからです。
神戸市が六甲山の南斜面に建設されたように、西宮は甲山の南斜面に建設された都市です。 六甲山と甲山の両方に甲の字が入ったものは、高くそびえる山勢が日本風の甲に似ていることから付けられた名前だそうです。
六甲山の頂上は標高約930メートル、兜山の高さは解放約310メートルです。 六甲山の高さが甲山よりちょうど3倍高いのは偶然でしょうか? そして神戸の六甲山は、西宮の兜山を6つ合わせた大きさという意味でついた名前かもしれません。
甲山や六甲山の南斜面に高級住宅団地が造成されたのは、その優れた景観のためです。 日本の開港(1854)に続いて明治維新(1868)が始まり、神戸港が開港(1868)され、この地域が国際化し始めました。 20 世紀初頭には、神戸港が東洋最大の港として発展しました。
一方、大阪は明治維新後、急速に工業化されました。 東洋のマンチェスターという異名がつくほど初期の都市化と工業化が急速で、1925年から1932年までは大阪の人口は関東大震災で都市成長が止まってしまった東京の人口を上回り、世界第5位の大都市に浮上しました。
神戸と大阪の都市化、工業化、国際化とともに阪神電鉄(1905年開業)と阪急電鉄(1910年開業)が大阪と神戸を結ぶ電気鉄道を架設したため、この地域は交通も便利でした。
大阪と神戸の間の地域は、(1)急速な工業化とともに人口が過密化し、住居環境が劣悪になった大阪と神戸の背後地であり、(2)交通が便利で(3)景観が優れている地域であったため、阪急電鉄と阪神電鉄はこの阪神間に高級住宅街を造成、大都市の富裕層人口を誘引しました。 それが西宮七園で、甲子園がその一つだったのですね。
交通が便利な阪神間地域に高級住宅街が造成されると、ここに音楽と美術、遊興と芸能、ゴルフと競馬などを含む新しい文化現象が起き始めました。 温泉地域にはホテルや遊園地ができ、公演や展示を受け入れるために劇場や美術館が建設されました。 競馬場や野球場もでき、宝塚少女歌劇団(1914)ができたのもこの頃でした。
このように阪神間地域に造成された住宅街の高級建築、そしてそれに続く日本式の伝統と西洋式の近代が混ざり合って盛行したこの地域の独特な文化現象を「阪神間モダニズム」と呼びます。 (jc, 2024/6/22)
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