日本の兵庫県の西宮は大阪と神戸の中間に位置しますが、二つの大都市と境界を接することはありません。 東の尼崎と西の芦屋が挟まっているからです。
西宮へは4つの電車路線が通るので、どこからでも神戸や大阪の中心街まで30分以内で着くことができます。 交通の要地なので、2つの大都市の住宅街です。 北の宝塚が観光や芸能の街なら、西宮は交通や住居中心の街です。
西宮を知っている韓国人なら十中八九野球ファンでしょう。 日本のプロ野球チーム、阪神タイガースのホーム球場が西宮にあるからです。 阪神甲子園野球場と呼ばれるこの球場は、日本の全国高校野球大会が開かれる場所でもあります。
甲子園エリアの旧称は鳴尾村で、全国高校野球大会が第3回大会(1919年)からここで開催されました。 新しい野球場が竣工した1924年が甲子年だったので、野球場と地域が甲子園に改名され、高校野球大会も甲子園大会と呼ぶようになりました。
甲子園大会も3月の春大会と8月の夏大会の2つがあります。 春の大会は毎日新聞社、夏の大会は朝日新聞社が開催します。 普通甲子園といえば夏の大会を指し、47,000席の観客席が常に満員で、中継放送の視聴率も20%に迫ります。
甲子園の競争は激しいです。 日本高校野球連盟に登録された学校が3,818校(2023年)ですが、各野球チームの部員は、30人(和歌山県智弁和歌山高校)から150人以上(高知県明徳義塾高校)です。 甲子園の選手エントリーは1チーム当18人なので、選手が30人であっても出場競争率が2対1で、部員が多ければ8人に1人だけが試合に出ることができます。
3、818の高校野球部は、地域予選で優勝した49チームのみが甲子園に出場します。 都道府県が47ですが、49チームが出場するのは東京都と北海道で2チーム、その他の2府(大阪と京都)と43県では地域優勝チームの1チームだけ出場するからです。
各地域予選を通過するためには極限競争を通過しなければなりません。 神奈川県と大阪府、愛知県では毎年160対1の競争を勝ち抜かなければなりませんが、2014年の千葉県の地域予選の競争率は174対1で歷代の最高を記録しました。
予選もトーナメント式なので、地域によっては5-7試合を次々と勝ち取らなければならず、1試合負けても甲子園出場は不可能になります。 本選に出場した49チームも地域予選の優勝チームを相手に5-6連勝を収めてこそ優勝することができます。
甲子園は1991年に外国人学校にも出場資格を与えましたが、韓国系の京都国際学校が2001年から予選に出戰、2021年には本戦に進みベスト4に進出するという快挙を成し遂げました。
日本の敗戦前には植民地の高校も甲子園に参加しました。台湾は1923年から甲子園に参加し、1931年に嘉義農林学校が甲子園本大会で準優勝しました。この野球団の話は「カノ(Kano, 2014)」という映画化もされました。
朝鮮は1919年の三一革命以降の文化政治の一環として、齋藤實が各学校に野球部を創設し、甲子園に参加するよう求めました。1921年に釜山商業学校が第7回甲子園に出場したのを皮切りに、京城中学校(1922,1924,1926,1927,1928年)、仁川商業学校(1936,1938,1939年)、平壌中学校(1929,1932,1940年)、京城商業学校(1931,1934年)、徽文高等普通学校(1923年)、釜山中学校(1925年)、大邱商業学校(1930年)、善隣商業学校(1933年)、新義州商業学校(1935年)、龍山中学校(1937年)などが朝鮮の代表として甲子園に進出していました。
徽文高普は選手と監督(朴錫胤)がともに朝鮮人だけで構成されたチームで、1923年、甲子園のベスト8入りを果たしました。 しかし、朴錫胤の極悪な親日行為のため、徽文中、高校は彼が野球部の監督として活躍したことをそれほど誇りに思っていないということです。 (jc, 2024/6/19)
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