3泊4日に予定されていた<舞踊靴>の日本兵庫県西宮訪問が終わりました。 訪問団に参加された15人の中から、7人が14日夜帰国され、6人が15日、2人が17日に帰国したことで全員無事に帰ってこられました。 何の事故もなく訪問が終わったのが本当にありがたいことです。
今回の訪問は、昨年(2023年)2月に続く<舞踊靴>の2回目の訪問です。 今回の訪問の第一目標は西宮の「コッキリの会」と京都の「ララン舞踊教室」の在日朝鮮人学生たちに舞踊靴と風物衣装を伝えることです。
そのために<舞踊靴>の第8次キャンペーンが行われ、一般募金(450万ウォン)とクラウドファンディング(150万ウォン)が全て成功し、学生たちに約束したプレゼントを渡すことができました。
去年は玉瀬の滿福寺で<風流会>の国楽演奏で慰霊と感謝の音楽会を開きましたが、今年は家族風物牌<ドンドン>の四人(林寅出、趙元子、林東明、林東權)と光陽のバックノリの大家楊享鎭先生が西宮公民館で風物公演を主導されました。
現地では公演のタイトルを「日韓風物交流会in西宮」と名付けました。 おそらく今後、大阪、神戸、尼崎、宝塚、伊丹などではもちろん、東京や九州でもこのような風物交流会が開かれることを祈っていたようです。
実際に西宮公演直後、尼崎と伊丹で「ドンドン」家族風物公演を開いてもらえるかという要請が入ってきました。 日程と予算が許されれば、いくらでも応じます。 風物を通じて韓國同胞が在日朝鮮人/韓國人同胞と日本人活動家と交流できる良い機会だからです。
西宮公民館での公演は、2つの点で意味深いものでした。 一つ目は<ドンドン>と楊享鎭先生の公演が卓越していたことです。 在日韓国人/朝鮮人もたまに風物を練習して公演もしますが、今回の<ドンドン>公演は観客に高い次元の風物の経験を与えたようです。 感動と感嘆を表現してくださった方が多かったです。
第二に、今回の公演が西宮市と西宮市教育委員会の公式後援を受けたということです。 この公演はもともと自治体の後援なしに市民団体の公演として組織され始めましたが、企画が進展し、現地の活動家たちが市政府と市教育委員会に後援を要請されたそうです。
手続きが面倒だったと思いますが、この方々が苦労してくださったおかげで市と教育委員会が後援を決め、おかげでこの行事は公式的な公演になりました。 今後も風物公演が日本の自治体の公式後援を受けられる先例を残してくださったので、この措置は重要なものだったと思います。
今回の訪問には、西宮公民館の風物公演以外にも、二つの重要な日程が含まれました。 (1) 7月13日、訪問団は切畑の「宝塚朝鮮人追悼碑」と玉瀬の朝鮮人参拝墓を訪れ、滿福寺を訪れ茶会を行いました。 そして、(2)7月14日の西宮甲陽園の地下壕を探訪しました。
2020年3月に建立された『宝塚朝鮮人追悼碑』は、110年前にこの地域で水道工事と鉄道工事中に亡くなった5人の朝鮮人労働者を称える追悼碑です。
犠牲者のために祭祀を行ってきた玉瀬村の住民や滿福寺の僧侶たちに感謝する意味で、<舞踊靴>は昨年からここを訪れ、音楽会を開いています。
今年は参拝墓の前で<ドンドン>と楊享鎭先生が慰霊のビナリと慰霊のバックノリを実演されましたが、とても印象的な風物公演でした。 地元の人はもちろん、滿福寺のお坊さんも深い印象と感動を受けたそうです。
7月14日の甲陽園地下壕探訪も意味ある日程でした。 日本人活動家の原田先生と在日朝鮮人の具実先生の案内で、1945年頃に着工され中断された7つのトンネルを順に探訪しました。 このトンネルの労働力に朝鮮人労働者が動員されましたが、特に第4号トンネルでは解放を迎え、「朝鮮国独立」という壁書が刻まれたものが発見された場所でもあります。
週末を利用した3泊4日の短い期間にこのような主要な行事と日程を消化することは容易ではありませんでした。 しかし、訪問団と公演団は、「面白さもあるが意味深い今回の訪問に熱心に参加し、おかげで現地でも良い反応を得た」と自評しています。 (jc, 2024/7/18)
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